第34回 日本車椅子バスケットボール選手権大会に優勝し、
京谷選手が最優秀選手賞、阿部選手がベスト5を受賞することができました。
ご声援ありがとうございました。


千葉ホークスの歴史
 パラリンピック東京大会以降障害者スポーツの普及が少しづつ広まりを見せている中、昭和44年に労働災害者の訓練施設(白子作業所)で「千葉作業所チーム」として誕生しました。

 この作業所チームは、創部当時より練習量の多さと、その厳しさはとても有名で、当時より優秀な成績を数多く残しながら、絶えず日本の車椅子バスケットボール界をリードしてきた名門チームです。

 昭和60年に活動拠点を千葉市内のスポーツ・レクリエーションセンター(旧サンアビリティー・千葉)に移し、チーム名も現在の「千葉ホークス」に改称されました。

 クラブの活動は二つの全国大会を中心に行われていますが、その他にも各地で行われる地方大会や、交流試合等にも積極的に参加しています。最近では日本リーグ(実業団)の前座試合や、大学の学園祭、各種イベントなど一般団体からの要請で参加する機会も増えました。また、パラリンピックやゴールドカップ(車椅子バスケットボール世界選手権大会)等の国際戦にも、千葉ホークスから多くの全日本代表選手が選出されています。

 本年は創部36周年を迎え、内閣総理大臣杯争奪 全国車椅子バスケットボール大会において11回目の全国優勝を成し遂げることができました。これに甘んずることなく、更なる飛躍を目差しチーム一丸で頑張っていく所存であります。

 私たちの願いは、この活動を通して、一般健常者を含め多くの方に車椅子バスケットボールや、その他多くの身障スポーツを知ってもらい、リハビリの枠を超えた競技として広まっていくということです。そして観客で満員になったアリーナで全国大会の決勝戦を戦いたい。私たちは車椅子バスケットボールを人気スポーツに押し上げていきたいと考えています。今後も“世界に通用するチームを目差せ!”をチームスローガンに掲げ、常に向上心を持ち活動を展開していきたいと思っています。

 今後ともさらなるご支援・ご声援をよろしくお願い申し上げます。



車椅子バスケットボールの歴史
 日本における車椅子バスケットボールの始まりは、昭和39年のオリンピック東京大会の後に行われたパラリンピック東京大会(身体障害者オリンピック)にさかのぼります。この大会で正式種目だった同競技が紹介され、障害を持つ多くの人々に認識されるようになりました。しかし、当時はスポーツという意識は薄く、リハビリテーションの一貫として病院や訓練施設などで行われる様になりました。

 昭和40年に開催された第19回岐阜国体から、「全国身体障害者スポーツ大会」(別名・身障国体)の第一回大会が開催されました。バスケットボールはその7年後の第8回鹿児島大会より正式種目として行われています。
 また昭和46年にはクラブチーム日本一を競う「内閣総理大臣杯争奪 全国車椅子バスケットボール大会」が開催されています。
 どちらの大会も年々その規模を大きくしながら今に至っています。

 現在全国に約90強のJWBF日本車椅子バスケットボール連盟)登録チームがあり、上記の大会以外にも、多くの地方大会や行事が各地で盛んに行われています。その活動や社会に対する認識度も少しづつ広まりを見せている所です。

車椅子バスケットボールのルール
 一般のバスケットボールと同じコート、同じ高さのゴールで競技をし、競技時間、得点、違反と罰則についてもほぼ同様です。
競技用車椅子はサイズの規定があり、選手毎に障害程度に相応する持ち点があり、コート内の選手の合計持ち点が14点以内と決められているのが特徴です。